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2004/05/21

Creatorと、Mass Productsの狭間で・・・。

切り込み隊長さん(blog:切込隊長BLOG ~俺様キングダム)の5/18のエントリ、それに対するcharlieさん(blog:A Pleasure of Deep Breath)の5/18のエントリ、そしてそれに対する切り込み隊長さんの5/19のレスポンスエントリという一連の流れを、ボケ~っと眺めていてふと思ったこと。

クリエータって何?

gooの国語辞典で検索してみる。

(1)造物主。神。

(2)創作家。

(3)創始者。創設者。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

でもって、ここでいうクリエータの意味は(2)番なのだけれど、まあ、当たり前の話ですな。著作物との兼ね合いで言えば、著作物を創る(作る)人ってことですな。
より著作権法的に言えば、誰かが何か「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を創った(作った)時点で、その誰かはクリエータとなる。

但し、議論の中で言われているクリエータってのは、小生の理解では、創作するだけでなく、創作した著作物を「売る、見せる/聞かせる、二次利用させる」ことにより対価を得ることを職業にしている人をメインターゲットとして捉えていると考えている。

小生的には、あんまりこういう人をクリエータと呼ぶのは好きじゃない。それは個人的な発想なので置いておくが、その理由については少し述べておく。

小生の中では、クリエータというものは、本質的には顧客の存在を考慮せずに、己の思想や感情を文字の羅列や画や映像や音に表現として定着させる人のことを言う。結果的に、顧客の志向とマッチして大ヒットするか否かはどうでもいい。
従って、顧客を満足させるために意図的に作り出された文字の羅列や画や映像や音は、小生の中では家電製品や自動車のようなマスプロダクトとなんら変わらないものであって、そういうものを作る人はいわゆるクリエータではない、という話だ。

小生の中でも、未だ纏まっていないのでなんとも表現しづらいが、要は、(1)創作するという機能と、(2)創作物(著作物)から対価を得るという機能を、分離して考えていると言い換えてもよいかもしれない。そして、小生は、(1)のみをクリエータの要件にしているということになる。
更に、創作物(著作物)をパブリッシュするという機能があるのだが、これは、(2)の存在の有無によってその必要機能が変わるので、要件としては別に考えている。この機能は、便宜的に(1)′としておこう。

してみると、charlieさんの

さて、そうした内容へのいちゃもんは個人的な感想なのでどうでもいいとして、こうした隊長へのマンセー意見や、あるいはWinnyを積極的に評価しようとする動きに対して僕がどうしても違和感を感じるのは、つまりクリエイターの視点が決定的に欠如しているからです。つまり、需要や供給の多寡にかかわらず、そもそもそれを作っている人はどこにいて、何で生計を立てているのかという話です。

では、(1)と(2)が分離されて考えられていないのではないかと思量され、

切り込み隊長さんの

 クリエイターの視点は徹底的にどうでもいいと思いますぜ。基本的に、クリエイターは商業ベースに乗らない限り喰えない。インディーズもそう、映像作家もそう、小説家もそう。インディーズレーベルだって大手レーベルでないというだけで、立派にパブリッシャー機能を果たしていると。私も実はクリエイターなんだが。

 クリエイターの視点がどの辺に本件で絡んでくるのかという話で、パブリッシャーが商業著作物の違法閲覧で問題視するのは端的にビジネスの不都合からくるもので、輸入CDの件にしてもCCCDにしてもWinnyにしてもサイバー犯罪条約にしてもクリエイターは”対価をもらってシステムに乗っかる”という状況を利用する側の論理でしかなく大勢に影響はない。

では、(1)と(2)は分離されて考えられているのではないかと思量されるわけです。

基本的に、現状起きている事象というものは、(2)の機能が侵害されることに対する(1)′の機能を提供する正当な権利者側の防衛行動です。切り込み隊長さんの言うようなビジネスの不都合でしょう。

創作者自らが(1)、(1)′、(2)を全てまかなっている場合には創作者はビジネスの当事者になるけれども、(1)′の機能を第三者に委ねている場合には、対価が「一時金無しの実販売分×ロイヤルティ単価」とかいう契約を結んでしまっていない限り、ビジネスの当事者意識を持つことがないのではないかと思う。そして、たとえ、そういう問題が生じてビジネスの当事者意識を持つとしても、それはどちらかというと「契約の問題」と考えるのではなかろうか。

他方、創作者は、(1)′の機能を何に求めるのかは選択自由なのであって、それが、例えばwinnyであっても良いわけです。
対価を得る必要がないのであれば、むしろ光の速度で無劣化なものが伝播していくシステムは、創作者にとって好都合かもしれない。
逆に対価を得る必要があるのであれば、winnyの存在はむしろ不都合になる。対価を得るシステムがないからだ。
ところが、一歩踏み込むと、(1)′の機能を提供する者から、創作者が創作物の「パブリッシング自体」に対する対価(例えば一時金)を得ているならばとりあえずは食っていけるわけで、winnyのせいで最終的な利益が減ずることについて不満を持つ人も中にはいるとは思うけれども、それがwinnyの存在を否定する程の大きな流れになるのか?というと微妙である。

その点で、小生の考え方は、切り込み隊長の主張に近いかもしれない。
winnyを語るときに(1)′の機能としてどうなのか、(2)の機能はどうやって実装するべきなのかという視点が中心であり、(1)の機能からみた場合、つまり創作者の視点はあまり考慮する必要性を感じない。創作者の視点というが、実際には、著作物の不当な頒布という部分に言及した時点で、(1)′=頒布手段としてのwinnyや、(2)=対価が得られない問題、という視点になるのだ。
もちろん、創作者の視点が全く不要だということではない。本来、著作権というものは、著作物の公表・頒布そのものを著作権者のコントロールの元に置く保証をしているものであるから、たとえ対価を得なくとも著作権者のコントロール外で公表・頒布が為されることは、著作権者たる創作者からみれば著作権侵害である。法律問題としての視点は当然に存在する。
(読み返してみてわかりにくかったので5/26加筆・・・)

charlieさんの感じた違和感を否定するつもりはないけれども、前提となるクリエータの定義が曖昧なまま議論されているように見える。互いの意見が合うわけがないので不毛だ。


と書いていたら、charlieさんのとこの5/20のエントリが・・・・・・。
やっぱり2人の考える前提って違ってるんじゃない?まさに不毛・・・・・・・。

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